面倒くさそうなことを楽しく書くブログ

アニメ、ゲーム、ラノベ、漫画、声優、その他諸々の話題が多いです。

今の日本のアニメ業界って、海外との差がどんどん埋まってね?

 

 

中国産アニメのクオリティが年々レベルアップしている気がする

 

 

どうもお久しぶりです。

今日は珍しく真面目な記事を書きたいと思いましたので、なんだか文体も変わりますがご了承ください。それでは! 

 

はじめに

 

純中国産アニメと言われて、どんなタイトルを思い浮かべるだろうか。

ボクはこの記事をタイトルを書いているのに、ぶっちゃけそんなに思い浮かばないが、一つだけすぐに出てきたタイトルがある。

それが『霊剣山』だ。

 

『霊剣山』は、国王陛下さんという中国の小説家が原作を執筆していて、その発信媒体はウェブ小説だったという。

 

日本では、日中の企業が手を組み、第1期が2016年1月から放送され、2017年には第2期が1月より放送されており、人気と評しても差し支えない。

 

今回はそんな『霊剣山』人気から、日本の同業界が警戒すべきでは無いかと思っていることを、語ってみたいと思う。

 

アニメ業界がどんどんと変遷している

 

 

「教養」としての「アニメ」。

そんな風に扱われる様になってきているのは、毎クールごとに作品が入れ替わる深夜アニメシーンに触れ続けて来ているファンの中では、さほど疑問に思わないかもしれない。

 

テレビ番組のアニソン特集などでも、数年前であれば『アルプスの少女ハイジ』や『ドラえもん』といった絶対的に子供がターゲットとされていた作品たちが大きくラインナップされていたが、現在では『魔法少女まどか☆マギカ』や『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』などの深夜アニメの楽曲が続々と取り扱われている。

 

こういった傾向から見るに、新聞社が取り扱うほどに、社会的にも、知る人ぞ知る「深夜アニメ」が、知ってないと損な「深夜アニメ」といったものに変化しているようにも思える。

 

そんな変遷が起きているアニメ業界なわけだが、何も扱いが変わっているのは国内だけではない。

 

そう、海外展開である。

 

海外では数十年前、一部愛好家の中での流行りだった「ディズニーやピクサーといった会社が制作しているような子度向けアニメ以外」の大人向けとでも言うべきアニメたちが、4chといった掲示板やSNSなどで、頻繁に話題になっている。

 

性倫理などの観点によって、日本の大人向けアニメたちが海外などの一部では映像に対する規制や販売規制が敷かれているが、それでも日本産深夜アニメBDを求める海外のオタクたちの声は日に日に増している。

 

中国勢が日本のアニメを「爆買い」する事情 | 最新の週刊東洋経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

こちらのサイトによれば、日本アニメの三割が外貨に依存しているとのことだ。

どれだけ海外のオタクたちがそれを求めているのかがよく分かると思う。

 

さらに、これによって、日本では海外のオタクの反応を楽しむ動画やサイトが人気を博しており、立派な海外交流の一貫となっていることは確かだ。

 

さぁ、そして、自国でそういったものが流行れば、当然ビジネスの種を血眼になって探している海外のビジネスマンたちは、絶好の機会と飛びつく。

 

これだけ明朗なビジネスモデルというのは、まさに砂漠のオアシスのようなものだからだろう。

 

そして、そのオアシスを作り出す日本が手を染めたもの。

それがオフショアだ。

 

オフショアによって、技術が伝わってしまう

 

ここでいうオフショアは、IT業界でいう人件費などが自国より安い海外の会社などにアウトソーシングするなどして、経費を削減しようとするオフショア開発のオフショアなわけだが、飯の種を探している人間は日本だけでなく、当然中国や韓国、マレーシアなどのアジア諸国にもそういった人々はいる。

 

日本からすれば安く成果物が得られるので、なんともお得なことである。

もちろんオフショアがアニメ業界などで徐々に流行り始めた頃は、見るも耐えないクオリティだったが、最近ではそんな事もあまりなく……いや、勿論無いとは言わないが……とにかく、徐々に安定し始めている。

 

だが、徐々に安定し始め、制作術を吸収した海外の企業が考えることは知るに容易い。

 

自国だけで、自国に受けるものを制作するのである。

そうして相成ったのが最初に説明した『霊剣山』などの、中国産アニメだ。

 

勿論、現在はまだまだ日本アニメ作画、動画、演出技術を比べれば、中国の制作技術というのは、拙いかもしれないが、決して「見れないものではない」。

 

それは『霊剣山』にも色濃く出ており、キャラクターデザインなどは、日本の一昔前の深夜アニメを模倣したように感じるものにはなっているが、作画や動画といった部分に見れなくなるほどの崩れなどは無く、販売に耐えうるものになっている。

 

また、『アイドル事変』などは「bilibili動画」といった動画配信サイトでの広告収入を得ようする動きも見られる。

 

つまり、中国のアニメ業界は、オフショアによって得た知識や技術によって、アニメ産業構造を着々と確立しているように見えるのである。

 

これは日本のアニメ業界にとってひーーーーーじょうにまずいように思える。

 

勿論、制作費がかさまずに済むのはいいことだ。

 

ただでさえ中抜きが横行していると言われる業界で、『けものフレンズ』なんぞ10人で制作したという話である。制作者たちに行き渡る金額が少しでも多くなるように、オフショアという手段を活用するのは仕方のないことかもしれない。

もちろんそれでクオリティが下がってしまうようであれば、それはまた違う話ではあるが。

 

しかし、活用しすぎたせいで、他国の技術力が上がってしまい、それにより自国が自足するようになり、外貨による利益が減ってしまったら元も子も無いからだ。

 

ゲームのオフショア開発

 

現在は中国でこのようなことが起きているが、別に中国に限った話でも無いと思う。

 

というのは、ソーシャルゲームのオフショア開発などでは人件費が極端に安くなるということもあり、インドネシアやマレーシアといった東南アジア諸国のソーシング企業に依頼することがどんどん増えている。

 

アニメとゲームというのは、ほとんどが似た作業、似た座組をとっている。

 

勿論アニメはアニメーター、ゲームはプログラマーといったセクションがあり、その点は違いはあるかもしれないが、それこそ脚本や監督(ディレクター)といったセクションは非常に似ている。

 

つまり、東南アジアの人々がゲームで活躍していたが、アニメを作ってみようとするのも不可能ではないわけだ。

 

そして、その逆も然り。

アニメだけでなく、様々な業界から、日本のエンタメに関する技術が流出しているのは間違いない。

 

どちらがいいか、というのは中々断言できない

 

別に海外産のアニメが、現在の純国産深夜アニメに成り代わり、週の半分が海外産の深夜アニメになってもいいんじゃないかと言われれば、絶対に駄目だということはないと思う。

 

日本の現在アニメ関わっている多数いるクリエイターたちは、海外の企業が産出ということになっても、通訳できる人間がいれば言語は大した壁にはならないかもしれないし、現在の深夜アニメ業界の原作の宣伝のためにという風潮がなくなり、オリジナルアニメが増える可能性もあるだろう。

 

とは書いたものの、日本が制作したアニメというのは、海外では絶対に出せない特有の雰囲気を持っているとボクは思う。

 

例えばジブリの『となりのトトロ』。

この作品なんて、まさしく日本人でなければ分からない侘び寂びや、郷土の文化なんかがたくさん詰まった作品で、まさしく日本文化をよく教えてくれる作品だ。

 

また、美少女ゲームブランドkey原作の『Kanon』などは、1980年代から脈々と受け継がれてきた、日本のオタクの美少女に対する真髄が詰まっている。

これは、日本のオタクが美少女や美少年に並々ならぬ愛を注ぎ続けてきたからこそ出来上がった結晶である。

特に日本独自の「エロゲー文化」から分かる通り、かつては蔑称として使われてたオタクという呼び方に耐え、消費者と創作者の中でだけ通ずるものがあるからこそ発達できたのだ。すでにある程度出来上がった市場が約束されているであろう海外のオタクでは絶対に分からない感覚があると思う。

 

こういった「感覚」や「雰囲気」といったものは、数式や理論では表せない、実に抽象的ものだと思う。

だからこそ、海外の人々では頭を使ったとしても、例え現場取材しても創出しえない、日本の土地で生まれ育ち、日本の文化や習慣に触れてきた日本人だからこそできる能力だと思う。

 

とはいえ、これは海外産のアニメにも同じことが言えると思う。

海外の文化はボクには未知な部分がたくさんあるし、海外のクリエイターがどういった見解で自国の文化を著したアニメを制作するのかは見どころの一つになるだろう。

 

つまり、今後の業界を思えばどちらも放送されやすい、作りやすい状況こそが好ましいと言えるのかもしれない。

 

結論

 

1ファンとして、業界の行末を危惧したが、一番の問題は功績に見合わない報酬。

これに尽きるのかもしれない。

 

要は広告代理店などの不法な中抜きによって、一番売上において重要な制作陣が割を食らっているという話はよく聞く。

 

これを言うとたまに「代理店だって苦労が〜」というが、そもそも制作する人間がいなければ作品が出来上がらず、消費者も作品が無ければお金を落とそうとも思わないのだ。

誰が一番評価されるべきなのかなんて、自明の理のはずだ。

 

願わくば、もっとクリエイターにとって生きやすい業界になってほしい。

それが、企業であれば長期的な利潤に繋がるのだろうし、業界であれば人材の多寡に関わるのだろうから。

 

新生活、新学期の思い出

内容が無いよう

 

どうも、お久しぶりです。

書く内容が無くて、正直更新が止まっていたりした今日このごろ。

とはいえ……

www.lifehacker.jp

 

というブログなどを読んでみたところ、なんだかモチベーションが沸いてくるというのは人間の不思議な部分だなぁと。

 

さて、そんな三日坊主になりかけた僕でしたが、奇跡的に「ぽんっ」とネタが思い浮かびました。

 

新生活、新学期の思い出

 

 

 

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題して「新生活、新学期の思い出」です!

 

……見事に季節ネタ。

下手すりゃはてなCMSの上部に、ネタが思い浮かばない人向けのお題とかにでも挙がりそうネタしか浮かばない自分が憎い……。

 

…… さて、本題に入りましょう。

  ボクが新生活、新学期と言われて思い出すのは、不動産探し。

 

高校を卒業して進学のために上京先の不動産を探そうとしたのはいいのですが、如何せん、時間がかかることかかること。

危うく日を跨いで、地元への終電を無くしそうになったのはいい思い出です。

 

トリバゴみたいな格安ホテルを探せるアプリやサービスがあれば良かったんですが、ボクが住処を探して右往左往していた頃は、スマホもあまり発達していない時代で、情報をガラケーで探すのが一般的な時代でした。

 

それで、やっとのことで希望に見合ったの住居を見つけたかと思ったら、先に押さえられていたので、不動産会社の人とタクシーで次の候補地に大急ぎで向かったり。

 

まぁとにかくてんやわんやだったことをはっきり覚えています。

 

それでも深夜アニメの放送タイトルは循環する

 

そういやこのブログ、アニメとかの話をするブログだったなと思い出したので、見出しにアニメをくっつけて一言。

 

僕の佳境ぶりなんぞ知ったことかと言うばかりに、そのときでも深夜アニメ放送時間帯は次クールの予告をしてたのも鮮明に覚えています。

 

世界って、俺の状況とは関係なく回っているんだなって身に滲みて思いましたね……。 

 

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たくさんの人に見てもらうためには

SEOって難しすぎるのでは……

 

ブログを始めたからには、そりゃ勿論色んな人に見てもらいたい。

そもそもブログを始めたきっかけが、様々な人達と、自分が好きなもので交流したいっていうことでしたから。

 

でも、ブログをたくさん見てもらうためには、SEOっていう検索対策が必要なわけで。

そのSEOってのは、とてもむずかしい様子。 

 

世の中にはワードプレスというものがあって、SEOテンプレート【賢威】 っていうそれ専用のテンプレまで作られているみたい。

全くもって未知の世界である。

 

ぶっちゃけ上記で挙げたTwitterの投稿に載ってるサイトとか、意味分かんないもん。

いや別に件のサイトの情報伝達度が低いと言っているわけではなく、単純に僕の頭の出来の問題です。

 

ホント……インターネットというのは難しいです。

 

けものフレンズよりメイドラフレンズ

なんで売れたのか。ぶっちゃけ製作側もよく分かってない

 

 

やべえよ……やばすぎんよ……

TVアニメシリーズのBDの製造が追いつかないって、正直初めて見たよ……

 

と、いうことで。

二番煎じどころか二十万煎じ感のある「けものフレンズ」ネタ。

 

 

こちら「けものフレンズ」の総監督を務める、たつきさんの投稿。

 

当たり前と言ってしまえば当たり前だけど、制作陣にもここまで話題になった要因というのが分からないみたいですよね。

そりゃあこんなバズるタイトルを意図して出せるなら、ヒットコンテンツマシマシメーカーでしょう。

 

ちなみに、僕は「けものフレンズ」より「小林さんちのメイドラゴン」派です。

フレンズの皆さんごめんなさい。

 

おねショタが好きなんです。

おねショタ見ると元から低いIQがいよいよレッドゾーンどころかデッドゾーンってぐらい下がるんですよね。

 

ありがとう、ショウタくんとルコアさん。

 

あーもうーさいこー! わーい! たのしー! えっちー!  ショウタくんとルコアさんがおふろはいったシーン! わーい!

 

売れたアニメといえば

 

 

 

「アニメ」「空前の大ヒット」「こんなに売れるとは」というワードで浮かんでくるのは、やっぱり「君の名は。」でしょう。

説明する必要性も無いかもしれませんけど、なんか説明するのが楽しいので一応解説しますと、監督は「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」でも監督をやってます。

実は老舗コンシューマゲームメーカー「Falcom」の元スタッフだったり、「Falcom」を退社後には、PCゲームメーカー「minori」でムービーに携わっていたりと、一般的に認知されているより、かなりディープな経歴を持ってます。

 

君の名は。」以外にも「シン・ゴジラ」や「この世界の片隅に」なんかも大ヒット作品として記憶に新しいですかね。

 

僕が大好きな細谷佳正さんも出ている「この世界の片隅に」。

まぁ大傑作だった。

 

戦争否定のためでも無ければ 、自己肯定のためでもない、そんな戦争映画。

 

僕ら現代人と、当時の方々は、世情は違えども、胸の底に抱える心の形は全く同じだという当たり前のことを気づかせ、その上で僕ら現代人が何を想うべきなのかを教えてくれた作品だったように思います。

 

まぁ、詳しいことは後々書ければいいなーなんて思ってますけど、ホント……いい作品でした。

 

面白いが定義出来てしまったら

 

 

こんな感じに「君の名は。」がなんで売れたのかを語っているサイトや雑誌、SNSアカウントは山ほどあるわけですけど、結局明確な答えって未だ出てないように見えます。

 

国民が深層的に、どこかで求めていた「時をかける少女」以来の青春モノだから?

震災という二文字を強烈に想起させるシノプシスだから?

流入し易いテーマと、ジブリを思わせる圧倒的な宣伝力だから? 

 

ホント、挙げればキリがない。

 

面白さというのは絶対に数値化できません。

まぁ、だからこそ僕はアニメや漫画などのコンテンツに魅力を感じるのでしょうが。

 

果たして、「けものフレンズ」にしろ「君の名は。」にしろ、売れた理由を明確に解明できる日は来るんでしょうか。

 

多分、無理でしょうけど。

でも、ちょっとだけ、解明できたときのことを考えてしまいます。

 

もし、面白さが定義されてしまったら。

もし、面白さが定常化してしまったら。

もし、もし、もし……。

 

こんな風になってしまったら、なんとなく、ボクはコンテンツから離れていく気がします。

 

ショウタくんの声が石原夏織だったことで救われたやつだっている

 

 

前の見出しの文末がちょっとさびしくなるような感じだったので転換転換。

 

けものフレンズ」でよく救われたと言っている人を見かけますが、ボクは「ショウタくんの声が石原夏織ちゃんだったこと」に救われました。

 

石原夏織ちゃんのショタボイス大好きなので!

水橋かおりさんの少年役とかに耳がないので!

 

最近少なくて、ちょっと悲しくなってたので、とても嬉しかった……。

嗚呼、願わくば、石原夏織ちゃんと水橋かおりさんの少年役がもっと増えますように!

 

以上!

 

ブログのタイトルって

多分、大多数の人に対して訴求力があるやつ

 

  • 「ボクが◯◯を始めた◯つの理由」
  • 「◯◯するべき◯つの理由」
  • 「◯◯の時、◯◯するべき理由」

 

ネットサーフィンをしていて、こんなタイトルを見かけることってないでしょうか。

ボクはあります。無ければこんな記事書いてません。

 

ボクはブログ初心者ですので、こういったタイトルの記事はPV数が伸びるだとか指南がしたいわけでもない。

 では何故こういったタイトルに言及するのかというと、普段ネットで調べ物をしているときによく見かけて書きたいことがあったから。

 

というのも、単純にこの短い文言の中に最大限の訴求力があると感じたんです。

 

  • 「ボクが◯◯を始めた◯つの理由」

 

こういうタイトルって、人によっては「だからなんだよ」「しらねーよ」という感想が帰ってきそうなタイトルですけど、大多数の人にとっては無意識的に蠢いている知識欲を刺激されるタイトルなのかなーと抽象的に受け取っています。

 

 

 

 

過去にはTwitterで「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」といったタイトルの漫画が投稿されたのは、一部の方にとって記憶に新しいかもしれません。

 

……とはいえ、知識欲が〜と書きましたけども、ボク程度の知能では、果たして本当は何がウケているのかは正確には分かりません。

 

こういったタイトルには人を惹きつけてやまないのに、抽象化されている、何かしらの……それこそ「理由」があるのかもしれませんが……誰か頭のいい人がこの答えを導き出してくれないかなぁ。

 

クッソ面倒くさい能力を獲得すべき理由

 

前述した漫画の件で一つ。

 

現代の高度情報化社会では、様々な理由や考察、感想といった、個人レベルの観念を膨大に計り知れるようになりました。

 

現代人(特に日本人)は様々な情報を取捨選択し、同調能力などの「社会能力」とでも言うべき能力を磨いてる気がしています。

 

同調能力、相手の気に障らない程度の提案能力や言わずとも察すだけの観察力などの総合的な社会能力。

大抵の人は、学校生活や社会生活によって、この能力の一定値を就職前までに獲得していて、この能力の値が高い人ほど「有能」だとか「気が遣える」と評価されているようです。

逆に、この能力の一定値が同世代の平均よりも下回っている人間は「無能」だとか「気を遣えない」という烙印を押されます。

 

個人的な意見ですが、ボクはこういった「社会能力」「社会性」というものを聞く度に心底面倒だなぁと思ってしまいします。

何故なら「個性」や「価値観」といった、もしかもしたら絶大な強みとなるものを潰しているように感じて、じゃあこれを説明しようとすれば、それこそ「空気が読めない」「同調できていない」というように言われてしまう。

 

あくまで僕視点ですけど、こういった、今までに無かった意見が通らない。

「社会能力」や「社会性」が評価されるため、会社や学校では「何を」言ったかではなく、「誰が」言ったかが重要視される。

これが「現代社会の面倒さ」を感じる最大の理由かもしれません。

 

勿論、「社会能力」「社会性」がある方からすれば、持たざる者の遠吠えだという意見もあるでしょうが、そういった風潮や空気を作ったのは「社会能力」や「社会性」の高い方々のように見受けられます。

 

勿論「社会能力」と「強烈な個性」を併せ持ち、それを最大限に発揮している方もいます。

それこそ芸能人なんかでは、武井壮さんとかが当てはまる気がしています。

 

なので、結局のところ、個性と社会性、どちらも重要なのは言うまでもありませんけどねっていう結論www

 

以上、ただの脳内整理でした。 

 

 

沢近愛理と塚本八雲

堀江由衣能登麻美子

 

沢近愛理塚本八雲というのはスクールランブルダブルメインヒロインです(異論は認めない)

彼女らの声優は、沢近愛理堀江由衣さんで、塚本八雲能登麻美子さんですね。

 

ちなみに僕は沢近愛理派です。

 

皆さんはどちら派でしょうか。

周防派、かれん派、天満派など、人によって好みは千差万別だと思います。

 

沢近愛理

 

一番印象に残っているのはやっぱり……播磨と愛理がダンスをしながらフェードアウトしていく、後夜祭の1シーンでしょうか。

この前のブログでもラブコメ恋愛漫画について色々と書きましたが、あのシーンは世のモテない男子諸君に、「少年漫画として」一度は生で味わってみたい妄想を「追体験」させてくれました。

 

 

ちょっと気になるあの子を何とか救うため、自己犠牲によって起こした行動を周りから誹謗される。

しかし、誰からも羨望を向けられるあの子だけは、その行動の真意を知っている。

 

でも決して、憧れのあの子がその行動の真実を公表することはない。

何故なら、自分を救ってくれたという宝物に等しい事実を、ただ一人自分の裡に秘めておきたいから。

 

だから彼女はなんとも無色透明な声音で、ただ彼に手を差し伸べる。

「ありがとう」と。

 

状況を飲み込めずにとりあえず頷く彼。

でも彼は気づいていない。

そっぽを向いた彼女の頬が、声音とは正反対の、まるでりんご飴を想わせる朱で染まっていることをーー。

 

 

とかいうね!

ホント、とかいうね!

 

 

まさに、教室にテロリストがやって来て突然特殊な戦闘能力に目覚めた自分がクラスで一番かわいいあの娘を救ってジ・エンドという妄想のラブコメ版みたいなもんです。

 

当時って言えばツンデレ全盛期です。

そりゃあ、浅く広く流されやすく面倒くさいことに定評のある僕はこれでイチコロ。ハマりますよねっていう。 

 

ツンデレ」って枠組みでサブカルコンテンツを俯瞰すると、 まさに千万無量ですけども、ここまでツンデレって言葉を体現出来ているキャラクターって、沢近愛理以外はいないのではと思ってしまいます。

 

ぶっちゃけ、スクランZで出産したと思わしき(明言はされていない)場面を初めて読んだ時は口の中がしょっぱかったのをよく覚えてます。

今更と言われようが、ここで改めて書きたい。

愛理ちゃん、本当におめでとうございます。

 

塚本八雲

 

沢近愛理というキャラクターを語る上で、相反しているのにもかかわらず、欠かせない。

それが塚本八雲だというイメージが強い。

 

今想えば「クーデレ」という言葉が流行したのも、彼女の台頭が大きく起因しているようにも思えます。

……まぁナデシコのルリルリが開祖なんでしょうけど。

 

自分は先ほどから書いている通り沢近愛理派なので、播磨拳児を巡って沢近愛理と対立した塚本八雲というキャラクターが憎き存在だったことは確かです。

 

しかし、彼女がいなければ沢近愛理は輝いていなかっただろうし、それは塚本八雲にとっても同じでしょう。

 

あ、でも、ぶっちゃけ今になって考えてみると、やくもんの方が可愛いとか思ったりしなくもうんぬんかんぬん。

 

スクランという作品

 

今回スクランについて触れたのは、本棚にスクランがあったからという安直な理由なわけですけども。

 

今ここまでの文章読み返したらキモオタ丸出しでサブイボでした。

 

とはいえ、もうかなりの間隔が空いてもこうやって想いを語れる作品ってのはいいなと素直に思います。

 

ツンデレキャラが減り始めていた昨今。

沢近愛理クラスのツンデレがまた現れてくれるのでしょうか。

それに期待して。

 

ご拝読ありがとうございました。

伊織派だし西野派だしモモ派だしマリー派だし千紗希派だ。

男子諸君にとっての聖典

 

「I's」「いちご100%」「ToLOVEる」「ニセコイ」「ゆらぎ荘の幽奈さん」と、各男性諸君によって週刊少年ジャンプ恋愛漫画聖典って違いがあると思います。

それって年代が大きく関係していて、あくまで聞いた話にはなりますけど、「I's」世代はそれこそ気軽にネットも出来ない時代だったこともあって、「I's」で滾る激情を発散したなんて話も聞きますし、「ToLOVEる」で女性の身体に興味持ち始めたなんていう話もネットに腐るほど転がってます。

それは複雑化した現代情報社会の荒波を器用に躱し続ける中高生たちも同じで、ぶっちゃけ「ゆらぎ荘の幽奈さん」にはとてもお世話になっているのでしょう。

 

僕は「I's」「いちご100%」「ToLOVEる」「ニセコイ」「ゆらぎ荘の幽奈さん」と、挙げた作品は全て読んでいますけど、タイトルでも書いてる通り、伊織派だし西野派だしモモ派だしマリー派だし千紗希派です。

 

共通点は言うまでもないかもしれないけど、いかにも「主人公に振られそう」で、「主人公のことを無条件レベルに好き」という、童貞が好みそうなキャラクターです。

 

 「I's」や「いちご100%」を読んだ時と「ゆらぎ荘の幽奈さん」を読んだ時では十年近く隔たりがあるのに、好きになるヒロインの傾向に変わりが無いってのも笑えますが。

 

自分の「好きな」ものを語りましょうというだけの話

 

最近だと「ニセコイ」なんかより「I's」の方が何十倍も良かった。今の子供が可哀想だなんて意見を目にしたりします。

今の子供からすれば、今「エロい!」「かわいい!」と、学友たちと語り合い、頑なに想っているものこそ至高で、自分たちが産まれる前に生まれた作品なんぞ、そもそも新品じゃ売ってないわ、知ったこっちゃないわと、触れる機会にすら恵まれませんし。

 

結局のところ、中学生なんて一番色んなものに影響を受けやすい時期に読んだ恋愛漫画ってのは、人格形成に一役買ってるんですよね。

 

根幹を築いたものって簡単には抜けないでしょう、それこそ車のタイヤがボルトでガチガチに固められてるように。

 

とはいえ、いいものはいい。悪いものは悪い。

そこの審美眼ってのを腐らしては行けない気もする。

いやまぁ思考停止すれば誰でも好きになることは出来るんでしょうけど、創作物に対して論考を重ねた上で愛でることって、必要なんじゃないかな。

 

下地となった作品に対しての想いってのは、墓まで持っていく。

 

その下地を編み込んだ篩で、作品を審美する。

 

篩にかける際に、いつ出来たから。誰が好きだから。ってのは全く考慮する必要はないでしょうっていう。

 

まとめ

 

最近見かける「◯◯」だから嫌い、好きという固着した思考が表に出た発言とかを見て、結構思うところがあって書きました。

 

簡潔にまとめれば「自分の感性を物を語れ」って話でしたね。

 

寝ぼけ眼で、脳内を整理せずに書きましたけど、ここまで読んじまったという奇特に感謝を。

 

どうもありがとうございました。