ブログのタイトルって
多分、大多数の人に対して訴求力があるやつ
- 「ボクが◯◯を始めた◯つの理由」
- 「◯◯するべき◯つの理由」
- 「◯◯の時、◯◯するべき理由」
ネットサーフィンをしていて、こんなタイトルを見かけることってないでしょうか。
ボクはあります。無ければこんな記事書いてません。
ボクはブログ初心者ですので、こういったタイトルの記事はPV数が伸びるだとか指南がしたいわけでもない。
では何故こういったタイトルに言及するのかというと、普段ネットで調べ物をしているときによく見かけて書きたいことがあったから。
というのも、単純にこの短い文言の中に最大限の訴求力があると感じたんです。
- 「ボクが◯◯を始めた◯つの理由」
こういうタイトルって、人によっては「だからなんだよ」「しらねーよ」という感想が帰ってきそうなタイトルですけど、大多数の人にとっては無意識的に蠢いている知識欲を刺激されるタイトルなのかなーと抽象的に受け取っています。
『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』(1/2)
— micorun (@micorun) 2016年3月1日
割と実話マンガ pic.twitter.com/3vf1UJhaHe
過去にはTwitterで「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」といったタイトルの漫画が投稿されたのは、一部の方にとって記憶に新しいかもしれません。
……とはいえ、知識欲が〜と書きましたけども、ボク程度の知能では、果たして本当は何がウケているのかは正確には分かりません。
こういったタイトルには人を惹きつけてやまないのに、抽象化されている、何かしらの……それこそ「理由」があるのかもしれませんが……誰か頭のいい人がこの答えを導き出してくれないかなぁ。
クッソ面倒くさい能力を獲得すべき理由
前述した漫画の件で一つ。
現代の高度情報化社会では、様々な理由や考察、感想といった、個人レベルの観念を膨大に計り知れるようになりました。
現代人(特に日本人)は様々な情報を取捨選択し、同調能力などの「社会能力」とでも言うべき能力を磨いてる気がしています。
同調能力、相手の気に障らない程度の提案能力や言わずとも察すだけの観察力などの総合的な社会能力。
大抵の人は、学校生活や社会生活によって、この能力の一定値を就職前までに獲得していて、この能力の値が高い人ほど「有能」だとか「気が遣える」と評価されているようです。
逆に、この能力の一定値が同世代の平均よりも下回っている人間は「無能」だとか「気を遣えない」という烙印を押されます。
個人的な意見ですが、ボクはこういった「社会能力」「社会性」というものを聞く度に心底面倒だなぁと思ってしまいします。
何故なら「個性」や「価値観」といった、もしかもしたら絶大な強みとなるものを潰しているように感じて、じゃあこれを説明しようとすれば、それこそ「空気が読めない」「同調できていない」というように言われてしまう。
あくまで僕視点ですけど、こういった、今までに無かった意見が通らない。
「社会能力」や「社会性」が評価されるため、会社や学校では「何を」言ったかではなく、「誰が」言ったかが重要視される。
これが「現代社会の面倒さ」を感じる最大の理由かもしれません。
勿論、「社会能力」「社会性」がある方からすれば、持たざる者の遠吠えだという意見もあるでしょうが、そういった風潮や空気を作ったのは「社会能力」や「社会性」の高い方々のように見受けられます。
勿論「社会能力」と「強烈な個性」を併せ持ち、それを最大限に発揮している方もいます。
それこそ芸能人なんかでは、武井壮さんとかが当てはまる気がしています。
なので、結局のところ、個性と社会性、どちらも重要なのは言うまでもありませんけどねっていう結論www
以上、ただの脳内整理でした。